ピリピ4:10-16 北松戸福音教会牧師 都鍾倍

「伝道の初めからの助け」

本日も皆さんとともに、喜びと平和の中で礼拝をささげることができて、心より感謝しています。そして、このような主の教会、主の家族につながれ、御言葉を語る者として立てられていることを誇りに思います。本日の主の御言葉に共に耳を傾けましょう。
開拓伝道の始まりには様々な形があると思います。組織的な団体の支援の下でのスタート、個人の召命によって、またチームを組んでそれぞれの役割を担う形での伝道等々。パウロの伝道の初めはどうだったでしょうか。パウロが働きを始めたころ、多くの教会からの熱烈な声援と支援があったのではありませんでした。
パウロは初期の働きのことをこのようにふり返っています。
「ピリピの人たち。あなたがたも知っているとおり、私が福音を宣べ伝え始めたころ、マケドニヤを離れて行ったときには、私の働きのために、物をやり取りしてくれた教会は、あなたがたのほかには一つもありませんでした。テサロニケにいたときでさえ、あなたがたは一度ならず二度までも物を送って、私の乏しさを補ってくれました。」(ピリピ4:15-16)
ピリピ教会はパウロが伝道のために物をやり取りして助けたただ一つの教会でした。パウロはこのピリピ教会の助けを老年になっても忘れることなく感謝をもって覚えているのです。
パウロは主の助けによって、あらゆる境遇にあっても満ち足りることを学んだと言っていました。しかし、主がそれを教える多くの場合は人を通して、また人との関係の中を通してです。パウロもピリピ教会の助けによって、満たして下さる主の恵みを体験することができたのです。それが一つだけの教会であっても、それによって励まされ、より伝道に励むことができたのです。

先日連合50周年記念総会に出席しました。連合の歴史が映像で流されました。そして、初代実行委員長(今の理事長に当たる)である泉田昭先生が連合の初期の様子を語ってくださいました。アメリカの宣教師たちとの協力によって、開拓に力を入れたことをも語られました。初期において、アメリカ宣教師たちの協力はとても大きい力となったそうです。もちろん今もそのことは変わりません。
このひとり一人の宣教師のために、多くの教会から支えがあります。宣教師の背後には多くの教会の祈りと献金があります。宣教師たちはその祈りと献金に支えられ、数十年に渡る異国での伝道に励むことができたし、今もその働きを続けています。伝道の働きはパウロの時代においても、50年前の日本においても、今の日本においても、アメリカにおいても多くの困難を伴います。そして、ひとりの力でできることではありません。

私たちの教会の初めもまさにそうでありました。私は牧師としてここに召されていますが、私一人の力でここに教会が立ったわけではありません。私の辞任を受け入れてくれた前の教会、そのために兼牧の重荷を快く受けてくださった先生、連合の理事会、母教会の理解と助けがありました。そして、献金とお祈りをもって支えてくださる方々がおられます。また、開拓教会を助けようと一心に協力してくださる藤原先生ご夫妻がおられます。そして、開拓教会の働きを共にしてくださる皆様がおられるのです。主のご計画と導きと共に、このようなひとり一人のお祈りと協力によって、福音教会の歩みが始まったのです。このように初めから困難を分け合ってくださるひとり一人はかけがえのない方々です。
福音伝道には多くの困難があります。しかし、困難を分け合うことによってそれを乗り越え、福音を広げることができるのです。

「満ち足りることを学ぶ」

それでは、伝道の始めからピリピ教会の助けを受けていたパウロは、困難と向き合わなければならない自分の状況をどう受け止めていたでしょうか。
11-12節でパウロはこう語っています。
「乏しいからこう言うのではありません。私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。
私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。」
パウロは本当に苦しい環境の中で働きました。イエス・キリストを伝えることを嫌う者達に殺される危機を何度も経験していました。充分に食べることができなかった旅もありました。船が座礁したことも、毒蛇に噛まれたこともありました。私たちの想像をはるかに超える苦労をしたのです。
しかし、そのようなパウロがここで言う言葉は驚きです。「どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました」と。
「私はあらゆる境遇においても負けない強い心と精神をもってそのすべてを乗り越えました」と言っているのではありません。「学びました」と言っています。
そして、学んだ結果、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ていると言っています。
学んだということは教えるものがいるということです。パウロはあらゆる境遇を通して教えられたということです。パウロをそのような境遇に導いたのは、言うまでもなく主ご自身です。
主はパウロをあらゆる境遇に置かれまして、主だけがパウロの必要を満たすお方であることを教えたのです。主は、パウロがどんな境遇にあっても、主が共におられれば満ち足りることを経験させ、教えられました。
パウロはそのことを徹底的に学んで、主の恵みを証しているのです。
そして、次の言葉をもってよりそのことをはっきりと語っています。
「私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです」(ピリピ4:13)
「どんなことでもできる」とは、「あらゆる境遇にあっても満ち足りること」ができるという意味です。
パウロは自分自身の力を信じて、どんなことでもできると言っているのではありません。
「私を強くしてくださる方によって」、つまり、主の助けによってできると言っています。
主につながっているからこそ、どんなことでも、あらゆることに対しても満足することができるのです。
パウロは主につながれて、主によって導かれ、主によって助けられ、どんな境遇にあっても満ち足りることを学んだのです。
主につながっている者の幸せ、素晴らしさが良く証しされている一つの詩を紹介します。
「病者の祈り」という詩です。(ニューヨーク・リハビリテーション研究所の壁に書かれた一患者の詩)
大事を成そうとして力を与えてほしいと神に求めたのに 慎み深く従順であるようにと弱さを授かった。
より偉大なことができるように健康を求めたのに よりよきことができるようにと病弱を与えられた。
幸せになろうとして富を求めたのに 賢明であるようにと貧困を授かった。
世の人々の称賛を得ようとして権力を求めたのに 神の前にひざまずくようにと弱さを授かった。
人生を享楽しようとあらゆるものを求めたのに あらゆるものを喜べるようにと生命を授かった。
求めたものは一つとして与えられなかったが 願いはすべて聞き届けられた。
神の意にそわぬ者であるにもかかわらず 心の中の言い表せない祈りはすべてかなえられた。
私はあらゆる人々の中で最も豊かに祝福されたのだ。
あらゆる人々の中で最も豊かに祝福されたという告白は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学んだということに通じる言葉です。私達も主にあってこのような告白を言い表す者となりたいと願います。

「困難を分け合うのは喜びである」

どんな境遇にあっても満ち足りることを学んでいるということは、困難な時に助けが必要ないという意味ではありません。困難を分け合うことによって信頼と愛が豊かになり、喜びが満ち溢れるからです。パウロはこのように言っています。
「私のことを心配してくれるあなたがたの心が、このたびついによみがえって来たことを、私は主にあって非常に喜びました。あなたがたは心にかけてはいたのですが、機会がなかったのです」(ピリピ4:10)
パウロはピリピ教会が自分と困難を分け合うことを喜んでいる理由は、物欲が満たされたからではありません。11節に「乏しいからこう言うのではありません」と。

それでは、なぜ、パウロは喜んでいるでしょうか。
10節の中でこう語っていました。「あなたがたは心にかけてはいたのですが、機会がなかったのです」と。
ピリピ教会がパウロのことを心配していたことが、愛と信頼を持っていたその心が、機会が与えられると形として現れたのです。パウロはピリピ教会が自分を愛し、信頼していることがこのように知られたので非常に喜びました。親密な関係が継続していることでしょう。

私にとっては、市川北教会がまさにこのような存在です。神学生の時から現に至るまで、信頼と愛をもって、お祈りとご献金をささげてくださって、主に仕える私の働きを助けてくださったのです。大きい喜びと共にそれにふさわしい働き人として歩まなければならない責任を背負っています。

このように、困難を分け合うことは、福音の前進につながる貴いことです。それゆえパウロはこのことを喜びと共に称賛しています。このように語っています。
「それにしても、あなたがたは、よく私と困難を分け合ってくれました。」(ピリピ4:14)
「私と困難を分け合ってくれることは、良いことだ」という意味です。良くやってくれたと感謝と喜びの言葉です。

今私にとって困難を分け合っているのは、やはり皆様でいらっしゃいます。この厳しい開拓伝道の働きに、この困難を皆さんは分け合ってくださいました。このように私たちの教会に集い、共に礼拝をささげているのがその証であります。
また、私と困難を分け合ってくれる人は、妻です。神学校入学の時も良く決断をしてくれたのです。妻の決断と理解があってからこそ私は今ここに立っていることができています。そして、今も変わらず私と困難を分け合っています。

妻にも皆さんにも心よりの感謝を申し上げます。願わくは、私自身、パウロのように忠実な者となるように頑張ってまいりますので、福音の前進のために、これからも困難を分け合う教会として共に歩みましょう。