使徒18:10   北松戸福音教会協力牧師 藤原導夫

【パウロのコリント伝道】
今日は、私がピンチヒッターとしてメッセージを取り次がせていただきます。
先週の水曜日頃から都先生が高熱を出し、ひろみさんも続いて高熱を出し、伏せっておられます。
都先生は、それでも何とか頑張って教会に来て説教したいと言われました。
けれども私は、教会には高齢の方も、子供もいるし、ウイルスを移してはならないと言いました。
そして総合的判断から、私が都先生に代わって説教させたいただくことになりました。
都先生たちが早く癒されるよう覚えてお祈りいただければ感謝です。

さて、この礼拝室に「この町には私の民が沢山いる」という御言葉が掲げられました。
実は、しばらく前に都先生に私は尋ねました。
「都先生は、私たちの教会が掲げるべき御言葉としては、どういう言葉を考えておられますか?」
すると、都先生は答えられました。
「この町には私の民が沢山いる」です、と。
私は、驚いて答えました。
「そうなんですか、実は私も先生と同じ御言葉を考えていたのです」、と。
そのような次第で、この御言葉は、今、ここに掲げられるようになったのです。
K姉がその賜物を活かし、その御言葉を筆でもって書いてくださったことも感謝しています。
皆さん、今、共に声に出して、この御言葉を読んでみようではありませんか。
「この町には、わたしの民がたくさんいる」(使徒の働き18:10)

この御言葉は、どのような時に、誰によって語られたのでしょうか?
それは、伝道者パウロが第二伝道旅行の際、コリントの町へやって来た時に、神がパウロに向かって語られた言葉だったのです。
パウロは地中海沿岸諸国を巡り歩きながら、キリストの福音を伝えておりました。
そして、コリントの町へとやって来たのでした。

コリントはギリシャ半島の南にある、港町です。
この町は貿易が盛んで、パウロの時代にはとても栄えていたと言われています。
私は数年前にコリントの町を訪れましたが、その時のことを思い出します。
辺り一帯は野原となり、パウロ時代の繁栄した面影はもう残っていませんでした。
コリントの神殿遺跡も訪れました。
当時の建物は残っていませんでしたが、巨大な神殿の石の柱が何本も立っていました。
そこで異教の神礼拝が行われ、神殿の周囲に広がる市場では商売が盛んになされていたようです。
その商売が行われていた市場跡も訪れましたが、その広さに驚かされました。
そして、当時のコリントの町では、不品行が横行し、道徳が乱れていたようです。
英語で「corinthian」(コリンシアン、コリント人)とは、「ひたすら快楽を追い求める者」とか、「不品行な者」といった意味があるようです。

【パウロに対する神の励まし】
パウロはそのようなコリントの町へとやってきたのです。
その時のことをパウロ自身がこのように回想して語っています。
「あなたがたといっしょにいたときの私は、弱く、恐れおののいていました」(第Ⅰコリント2:3)
あの勇敢なパウロでさえも、このように弱さを覚え、恐れおののいてしまうほどだったのです。
伝道が困難であること、そこでも厳しい戦いがあることを痛感させられたのだと思います。
コリントの町の人々は経済的には豊かであったかもしれませんが、偶像礼拝がはびこり、道徳的には退廃していました。そのような町、人々を前にして、パウロは打ちひしがれた心になってしまったのかもしれません。

今から32年ほど前になりますが1983年の春、千葉県で開拓伝道を始めることへと導かれました。
私たち家族4人は、島根県から、引っ越し荷物と共に市川市へと到着しました。
ところが、世話役のミスで私たちの住むべき家の契約がまだ成立していませんでした。
家主がなかなか頑固な人で、契約を結んでからでないと家は貸せないということになりました。
しかし、他に行く宛もなく、せめて荷物だけでもということで、その家の庭に荷物を降ろしたのでした。
丁度3月末であり、雪のつもった庭に私たちの荷物が置かれた光景は実にみじめなものでした。
タンス、布団ズック、台所用品、子供たちのオモチャ類、私の本、等々。
それでも、何とか家主にかけあって、私たち人間だけはその晩、家の中で泊まることができました。
家の外は雪におおわれ、家の中には何もなくがらんとして殺風景でとても寒い夜でした。
「火を使ってはならない」、ということで暖房無しの凍えるような夜を過ごさなければなりません。
何だか、これからの歩みを象徴しているような感じがして深い不安に襲われてしまいました。
そのような中で「神様、これからの歩みをどうぞ助けてください」と家族4人でひたすら祈りました。
パウロがコリントの町の開拓伝道で恐れおののいたように、私たちも恐れおののきました。
あの日から32年が経ちました。
思い返せば、何の保証もなく見通しもない冒険の旅、ただひたすらキリストに従って歩む旅でした。
様々な困難がありました。
しかし、キリストはご自身の手をしっかりと伸ばして、私たちをつかんで助け続けてくださいました。
そして主イエスは、市川北教会の歩みを開拓伝道時代から今まで大いに祝福してくださいました。
私はまた今、神様は北松戸福音教会の開拓伝道も同じように祝福してくださると信じております。
神はコリントでパウロを助け祝福してくださったように、私たちを助け祝福してくださると信じています。

神様は、パウロに語りかけてくださいました。
「恐れないで、語り続けなさい。黙っていてはいけない!」(使徒18:9)、と。
何という心強い励ましの言葉であることでしょうか!
私たちも恐れないで、黙らないで、積極的に福音をこの地で語り続けていかなければなりません。
「福音」という言葉の意味は、「グッドニュース」ということです。
喜ばしいニュース、喜ばしい知らせという意味です。
そして、聖書が語る「福音」の意味は、キリストが私たちの罪の身代わりとなって十字架に死んでくださった、そして死に打ち勝ってよみがえられたということです。
そして、そのことを信じるならば、誰でも救われるということです。
さらには、よみがえられたキリストは、いつも私たちと共にいてくださるということです。
これが福音ということ、グッドニュースということの中味であり、意味なのです。
パウロはこの福音を自分自身が信じる者とされ、この福音を広めようとして働いたのでした。

キリスト教会の存在目的はまさにここにあります。
先ず自分が福音を信じる者となり、一人でも多くの方にこの福音を宣べ伝えるということです。
私たち北松戸福音教会の存在目的も、ここにあるのです。
私たちの教会の名前は「北松戸福音教会」です。
福音に生かされ、福音を宣べ伝えていくということが教会名そのものにも刻み込まれているのです。

【この町には私の民が沢山いる】
神様はコリントの町を前にしてたじろぐパウロを励ましてくださいました。
「わたしがあなたとともにいるのだ。だれもあなたを襲って、危害を加える者はない。この町には、わたしの民がたくさんいるから」(18:10)
私たちも松戸の町を前にして思うかもしれません。
果たして私たちはこれからやっていけるのであろうか。

「ちいろば牧師」と呼ばれた榎本保郎先生がこのような言葉を遺しておられます。
「信仰とは自分の現実に留まらず、神が共にいましたもう現実に生きることである」
実に信仰の急所を突いた言葉ではないでしょうか。
私たちはどちらの現実に生きているか、自分の現実か、神の現実か、ということです。
パウロはコリントの町の現実に目を注いだ時、恐れおののき、弱気になってしまったのでした。
私たちもまた自らの開拓伝道の現実を見つめる時に、同じようになってしまうかもしれません。
しかし、神はもう一つの現実を私たちに見せようとしていてくださいます。
「この町には私の民が沢山いる」、と。

先程の榎本先生は更にこのようにも語っておられます。
「信仰とは現実から推論するのではなく、神の啓示から現実を見、現実の中にあって、神の言葉を受け入れていくことである」
現実は、確かに厳しいかもしれません。
しかしそこから推論し判断を下すのではなく、神様が御言葉を通して語られることをこそ信じるのです。
弱気になり恐れおののいていたパウロに求められたことはまさにこのことではなかったでしょうか。
そしてまた、私たちに求められていることも同じではないでしょうか。
自らの現実を見つめて弱気になるよりも、神様御自身とその御言葉を信じて大胆に、神を見上げて生きていくということです。

今、神様はパウロに語りかけてくださったと同じように私たちにも語りかけてくださっていると信じます。
「わたしがあなたとともにいる!」(18:10)
この現実にまさる素晴らしい現実があるでしょうか。
「この町には私の民が沢山いる!」(18:10))
パウロにはそうは見えなかったかもしれませんが、神様はその現実をはっきりと見ておられたのです。
そしてパウロにも、神を信じてその現実を、信仰の目をもって見つめるようにと求められたのでした。
神様は、そのことを今日、私たちに対しても求めておられると信じます。

「この町には私の民が沢山いる