「すべての人を苦しめる問題」

ここに一人の素晴らしい人物が登場しています。
「アラムの王の将軍ナアマンは、その主君に重んじられ、尊敬されていた。主がかつて彼によってアラムに勝利を得させられたからである。この人は勇士で、ツァラアトに冒されていた。」(1節)
彼の名前はナアマンです。アラムという強大国の将軍でした。
彼は戦いにおいて勝利を得ていました。それで、アラム王からも重んじられている人物でした。
勝利者であり人々からも厚い信頼を得ている人物です。
彼の生まれや成長背景は記されていませんが、彼が人生において成功をおさめた者であるには違いないでしょう。誰もがうらやましがる人生です。完璧に見える人生です。
しかし、彼には問題がありました。聖書は、それをツァラアトという言葉で記しています。
これは重い皮膚病と考えられる病気で、ハンセン病と言われるものとも思われます。
身体に発疹ができ、膿が出る病気です。よりひどくなると肉が腐敗し、落ちてしまいます。
この病気が彼を苦しめていました。 それが彼の人生の問題でした。
聖書は彼の病気を通して、私達人間が共通して持っている問題を取り扱っているのです。
ナアマンの人生はこの病気さえなければ文句なしのものです。しかし、この病気のせいで、幸せなはずの人生が苦しみの中に置かれてしまったのです。
人は誰もがこのような問題を持っています。これさえなければ本当に良いのに。あれさえあれば最高なのに。それぞれが形は違っても自分自身を苦しめる問題を持っているのです。
しかし、聖書は本来人は苦しみや悲しみ、痛みがない完璧な人生を送れるはずだったと教えています。エデンの園で創造された最初の人は完璧な環境の中に置かれていました。
しかし、そこに罪が忍び込みました。その結果、すべての人は苦しみや悲しみなどの問題を抱えるようになったのです。聖書はナアマンを苦しめている病気を通して、罪の本質を良く示しているのです。
病気が彼の人生を苦しめていたように、罪はすべての人を苦しみの下に置いてしまいます。
私たちの知恵と力を尽くして、苦しみ、悲しみ、さびしさなどを経験していない人を周りから見つけてみましょう。見つけられるでしょうか。過去の人物からも探してみましょう。完璧に幸せな人生を歩んだと言える人がおられるでしょうか。誰もいません。ナアマンの姿は、罪の故に苦しんでいるすべての人の姿です。立派な人生もそうでない人生も、その歩みは多くの問題で苦しみを経験しているのです。
しかも、この問題は醜くて悪臭を放つ病気のようにすべての人を苦しめているのです。
この問題によって人々はうめき声を上げているのです。
今の世界を見てみてください。
今までのどの時代より、便利になり豊かになっているのです。科学や医学の発達、経済、法律が発達し、今まで多くの問題を解決できた時代です。しかし、解決できていない問題―戦争、飢餓、虐殺、誘拐、葛藤等々―がそのまま残っています。むしろ、より深刻になり複雑になったとも言えるでしょう。これによって多くの人が苦しんでいるのです。
科学の発達、経済の成長、教育の拡大によってこの世は徐々に平和と喜びに満ち溢れる世界へと変わると信じた時がありました。人の営みは偉大で素晴らしいと感心した時もありました。しかし、それは表だけの姿であって、本質的な問題は何一つ変わっていないことに気づき、深く失望した記憶があります。私は悲観論者ではありません。この世の現実を冷静に話しているだけです。何故、このように世は多くの問題で満ちているでしょうか。そして、それを何故解決できていないでしょうか。

「人の力では解決できない」

ナアマンは、自分の病気を直すためにあらゆる方法を用いたのに違いないでしょう。
彼は権力もありました。お金もありました。その力で、当時の最高の医者に診てもらったことでしょう。
残念ながら彼の病気は好転しなかったのです。
彼を大事にしていた彼の王でさえ、彼を治すことはできませんでした。
そこで、王はイスラエルの王に手紙を送り、彼を助けるように要請しました。その要請を受けてイスラエル王の反応はどうだったでしょうか。‘はい、分かりました。私が治してあげます’と言ったでしょうか。違います。
‘アラムの王がイスラエルと戦争をするために口実を作っているのだ。私は神でもないのにあの病気を直せと。これはあまりにも無理な要求だ。これには何か企みがあるに違いない’と嘆くばかりでした。
二つの国の王でさえ、この問題を解決することができませんでした。
そうです。これは人の力で解決できるものではありません。
多くの財産があっても、権力があっても、助けてくれる人が多くいても、この問題を解決できません。
むしろ、人はこの問題を取り扱う方法さえ分かっていないとも言えるのではないでしょうか。
これまで人々は、人を苦しめる多くの問題を解決しようと努力してきました。
その結果、著しく改善することができていることも多くあります。しかし、問題が完全になくなったわけではありません。
「G7」、「G20」という各国の首脳者会議を行ったり、○○ノミクスなどの経済対策を試みたりもしますが、何一つ根本的な解決につながっていないのが現実です。
日本においても、格差の問題は深刻な水準になっていますし、福祉への不安は広がりつつであります。
一所懸命問題の解決のために取り組んでいますが、むしろ事態は悪化しているようにも思われます。
ナアマンは自分の病気を直すために一所懸命でしたが、それはかえってイスラエルとの外交的な摩擦を引き起こすような展開となってしまいます。
ナアマンの病気を人の力で治すことができなかったように、私たちを苦しめる根本的な問題、罪は人の力では解決できません。人の歴史がそれをはっきりと示していますし、私たちが現実と正直に向き合えば誰もが認めることです。人の力では、大人数によってでも、組織的な働きにでも解決できないのです。
それなら、全く希望がないでしょうか。
いいえ、神様は唯一なる解決の方法があると聖書を通して教えています。

「唯一なる希望」

ナアマンは自分の病気を治すために自分が持っているすべてを用いたでしょう。しかし、良い結果は得られませんでした。その時、意外なところから解決への道が開かれました。
それは、なんと今まで見向きもしなかった存在からでした。以前の戦で捕らえて連れてきた若い娘だったのです。
自分の力の限界を分かった時に、初めて彼女の言葉が聞こえたのです。
「もし、ご主人さまがサマリヤにいる預言者のところに行かれたら、きっと、あの方がご主人さまのツァラアトを直してくださるでしょうに。」(3節)
これは、ナアマンが今まで聞いたことのない知らせでした。しかし、これまでの自分の努力では良い結果がなかったので、この言葉通りにすることとしました。
それで、彼はイスラエルのサマリヤの方に行きました。そこには預言者エリシャという人が住んでいました。
ナアマンは自分がエリシャのところに行くとエリシャが出て来て、自分の患部に手を置き、主の名を呼びながら祈ってくれるだろうと思っていました。
しかし、彼は意外なエリヤの行動に不愉快になってしまいます。
エリシャは自分の家から出ることなく、使いをやって言葉だけを伝えたのです。
「ヨルダン川へ行って七たびあなたの身を洗いなさい。そうすれば、あなたのからだが元どおりになってきよくなります。」(10節)
これにナアマンは怒って帰ろうとしました。何故でしょうか。
それは自分の期待通りにエリシャが行ってくれなかったからです。ナアマンは癒されたいと願いながらもその方法においては自分の思いにかなうものをと思っていたことでしょう。
今まで自分の思い通りの方法で多くのことをやってきて、失敗したからエリシャのところに来ているのです。
しかし、ここに来てもまた自分の思い通りの方法を固執しているのです。自分の国ではヨルダン川よりも美しい川がある。そこで洗ったらダメなのかと怒りを表しています。

人は何かの問題を解決するために大きなことをしなければならないと思うのではないでしょうか。
それでより多くの人の関心と人の力を集めて、より効果的な解決策を見つけると期待をしているのです。
人を根本的に苦しめている問題に関しても同じことをしてきましたし、今もそうしているのです。
できるだけ多くの人の協力、大きい資金と組織によって解決しようとするのが賢く思われます。しかし、それが失敗であることは人間の歴史を通しても、今のこの世の現実を見ても明らかです。
それで、聖書は本当の解決は今まで人々が関心を持って行ってきたことではなく、むしろ関心を持っていなかったところにあると教えています。
ヨルダン川に七たび身を洗うという預言者の言葉とおりに行った時、ナアマンの病気が癒されたように、すべての人々を苦しめる罪の問題は、イエス・キリストを信じること以外には解決の道がないことを教えています。
この世はイエス・キリストに関心を持っていません。むしろ、軽んじていて見向きもしようとしません。
しかし、イエス・キリストを信じなさいという聖書の言葉だけがこの問題への唯一なる解決策です。
イエス・キリストこそが唯一なる希望なのです。

ナアマンのように病気が癒され、本当に良い人生を送りたいと願っていますか。多くの人が自分の力で、または人の力で問題を解決しようとしていますが、本当に賢い者は聖書の言葉に従い、イエス・キリストを信じる者です。罪から、罪による多くの問題から解放されるためにイエス・キリストを信じましょう。