【自分が望まない道にも恵みが溢れている】

皆さんは、この職業だけには就きたくないというものがありますでしょうか?
私の若い頃のことですが、この仕事だけは絶対にやりたくないと思っていたものがありました。
少々オーバーに言えば、死んでもやりたくないと思った仕事です。
それは何かと言いますと、キリスト教の牧師でした。
実を申しますと、私の父が島根県の田舎でキリスト教会の牧師をしておりました。
その父の姿を見ていると、牧師にだけは絶対になりなくないなあ、と思わされたのです。
あまりにも苦労が多すぎる、しかもそれらの苦労に対する報いが少なすぎる。
母のことを見ていても同じでした。
牧師の妻として貧乏のどん底の生活に耐えていかなければなりませんでした。
母は長野県の出身でしたが、お金が工面できないために郷里の長野県に生涯一度も帰ることはありませんでした。
そのような両親の生活を眺めながら、「僕は絶対に牧師にならない、死んでも牧師にならない」と固く心に決めていたのでした。

そのように思いつめていた中で、青年時代の反抗期がやってきました。
ある時、父と口論が始まりました。
私の名前は「導夫」ですが、その名前のことで父に文句を言ったのす。
「お父さんは、何で僕にこんな大それた名前をつけたのか。人を導くような男になれなんてとんでもない。僕はそんな男になれなくてもよい。なぜもっと当たり前の平凡な名前をつけてくれなかったのか。僕はこの名前が大嫌いだ」
すると、父がこのように答えました。
「みっちゃん、それは違うよ。その名前はそんな立派な男になれというような大それた期待はないんだよ。この子が神様に導かれて生きて欲しいと願って「神に導かれる男」という意味でつけたんだよ」
私は、その父の答えを聞いてますますその名前が大嫌いになってしまいました。

それからも色々と紆余曲折がありました。
けれども最終的には、神様に首根っこをつかまれ、牧師になる道へと連れて来られてしまいました。
そして何とか牧師として今日までやってくることができました。
最初は死んでも牧師になるものかと思っていた私でしたが、今は牧師になって良かったと思わされています。
かつては、自分の「導夫」という名前が大嫌いでした。
でも今では、父と母は私に最高の名前をつけてくれたと思い、心から感謝しています。

自分では、望まなかった人生の道。
しかし、神様に強いられるようにして導かれて歩むようになった人生の道、そこにおける歩み。
そこには、実に神様の恵みが溢れているということを私はこれまで体験させられてまいりました。

実は、聖書の中にはそのように人生を歩んだ人々の数々の証しが溢れています。
私の場合は、聖書の中にあるそのような沢山の証しの、小さな小さな現代版なのです。
おそらく、ここにおられる皆さんお一人お一人もきっとそうではないでしょうか。
今日ここまで歩んできたのは、自分の願った通りの人生ではなかったかもしれない。
しかし神様にその人生を導かれて歩んで来た時に、気がつけば、そこには恵みが一杯に溢れていたということです。
そのような体験、歩みをしたであろう一人の人物に私たちは今朝、心の目を注ぎたいと思います。

【十字架を背負ったクレネ人シモン】

「ルカによる福音書」23章26節。
「彼らは、イエスを引いて行く途中、いなかから出て来たシモンというクレネ人をつかまえ、この人に十字架を負わせてイエスのうしろから運ばせた。」

クレネ人シモンとはどのような人だったのでしょうか?
「クレネ」とは北アフリカにある地名ですから、そこの出身者だったのでしょう。
「シモン」とは、ヘブル語の「シメオン」がギリシャ語名になったものです。
つまり、シモンはヘブル語シメオンのギリシャ語読み(発音)なのです。
ですから聖書では、一人の人がシモンと呼ばれたり、シメオンと呼ばれたりもするのですね。
例えばあの弟子ペテロがそうです、彼はシモンと呼ばれたり、シメオンと呼ばれたりしています。

当時の十字架刑は処刑される本人が刑場まで自らの十字架を背負って運んだのだそうです。
イエス様はそれに耐えられなかったのかもしれません。
兵士達はそれを見かねたのでしょうか、通りすがりのクレネ人シモンをつかまえて十字架を負わせたのです。

ところで、主イエスが十字架に死なれたのは、紀元29年とされています。
そして、この「ルカの福音書」が記されたのは、紀元60~70年頃とも言われています。
普通なら30年、40年前のこのような小さな出来事に関わる人の名前が長く記憶されているということは珍しいことではないでしょうか。
私たちは自分にとって30年、40年前に起こった出来事をどこまで正確に細かく思い出すことができるでしょうか。
とても難しいことではないでしょうか。
そのようなことも考え合わせれば、その名前が明記されているということは、ルカがこの福音書を記した時にも、クレネ人シモンは教会の中でその存在感を有していたのではないだろうかとの推測が成り立ちます。
だからこそ30年、40年後になっても、その名前が出てきているのではないでしょうか。

「マタイの福音書」27章32節にはこのように記されています。
「そして、彼らが出て行くと、シモンというクレネ人を見つけたので、彼らは、この人にイエスの十字架を、むりやりに背負わせた。」
ルカの福音書とほとんど変わりませんが、「むりやりに」背負わせたと言葉が追加されています。
シモンは背負いたくなかったことでしょう。
30年後、40年後に、過去の小さな出来事を根掘り葉掘り調べながら福音書を書く時に、それが無理矢理であったかどうかなど、なかなか分からないのではないでしょうか。
目撃者の証言があったということも考えられます。
でも、本人が「あの時は実に無理矢理だったなあ」と証言すれば、それは真相にぐっと近づくのではないでしょうか。

「マルコによる福音書」15章21節にはこのように記されています。
「そこへ、アレキサンデルとルポスとの父で、シモンというクレネ人が、いなかから出て来て通りかかったので、彼らはイエスの十字架を、むりやりに彼に背負わせた。」
「アレキサンデルとルポスとの父」とあります。通りすがりで、十字架を背負ったとは言え、ただそれだけで去ってしまった人なら、このようなところまでは細かく正確に記せなかったのではないでしょうか。
またそのような詳しいこと、「アレキサンデルとルポスとの父」とまでも記す必要はなかったのではないでしょうか。
それができたのは、そうしたのは、クレネ人シモンが、通りすがりに、無理矢理に、キリストの十字架を背負わされ、その後キリストを信じて従うものとなり、その後の教会の中で人々から覚えられ、評価される歩みを続けていったからではないでしょうか。
そして、そこには息子のアレキサンデルとルポスもいたからではないでしょうか。

更に聖書を読み進んでまいりますと、「使徒の働き」13章1節にはこのように記されています。
「さて、アンテオケには、そこにある教会に、バルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、クレネ人ルキオ、国主ヘロデの乳兄弟マナエン、サウロなどという預言者や教師がいた。」
パウロやバルナバを異邦人伝道へと遣わされたシリヤのアンテオケ教会に、「ニゲルと呼ばれるシメオン」という名前が出ています。
何人かの註解者はこれは「クレネ人シモン」ではなかろうかと解釈しています。
ニゲルというのは二グロという意味で肌の色の黒い人を意味します。
クレネは北アフリカですから、シモンは肌も黒く、「ニゲル」と呼ばれていたのかもしれません。

もし、これまでの推測が正しければ、無理矢理に背負わされた十字架のおかげで、クレネ人シモンは主イエスを信じて従う人生へと導き入れられていったと言うことができるでしょう。
そして、やがてシリヤのアンテオケ教会のメンバーとなり、あのパウロやバルナバなどとともにキリストの福音を伝えるため共に働く者となっていってということになります。
そして、そこには息子のアレキサンデルやルポスも共にいたのかもしれないということになります。

【十字架を背負う道にも恵みが溢れる】

このクレネ人シモンに起こった出来事は、またここにいる私たちにも起こるのではないでしょうか。
私は家内と共に46年間の伝道生涯を送りました。
年も取り、疲れもしたので、そろそろこの辺で終わりにしても良いのではないだろうかと思い、昨年3月に市川北教会を退きました。
これからは、少しゆっくりとしながら余生を送りたいと考えていました。
ところが神様は、私たちのそのような願いを許してくださいませんでした。
都先生ご夫妻と協力するような形で北松戸福音教会の開拓伝道へと引っ張り出されたのでした。
まるであのクレネ人シモンと同じです。
昨年の4月5日から北松戸福音教会の開拓伝道が始まり、今、皆さんと共に10ヶ月が過ぎました。
もちろん大変なことは多くありましたが、神の恵み、そこで与えられる喜び、感動は、それらを圧倒的に上回るものでした。

主イエスは仰いました。
「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい」(マタイの福音書16章24節)
クレネ人シモンは、最初は十字架を無理矢理に背負わされ、しぶしぶながらそれを背負い始めたことでしょう。
しかし、神様は彼が十字架を背負って従うようにと決めておられたのでした。
彼はやがてそれを自らの人生において、進んで喜んで背負うようにと変えられていったのでしょう。
聖書の中で彼の名前が何度もくり返され、子供たちの名前と共に教会の中でその名前が明記されるようになっている事実が、そのことを物語っているのではないでしょうか。

北松戸福音教会の開拓伝道を担うと言うことは厳しいことであり、大変なことであり、それこそ十字架であると私は思っています。
しかし神はクレネ人シモンのように、私たちがそれを背負うように求めておられることでしょう。
ここには北松戸福音教会のメンバーではない方々もおられますが、それらの方々にはまたそれらの方々なりの負うべき十字架が神から与えられているのだと思います。
キリストに従い十字架を背負って歩む道、その中味はキリストがいつも共にいてくださり、たとい苦しくとも神の恵みが満ちあふれていく道であります。